
ムエタイ選手はなぜボクシングをやるんですか?
そんな疑問をもっている方はとても多いです。
✅ムエタイでは強すぎて賭けにならないため。
✅ボクシングの世界王者になってさらに稼ぐため。
✅ムエタイでの戦績が芳しくないため。
✅強打を見込まれて。
などなど、タイ人がムエタイからボクシングに転向する理由はさまざまです。
ただ、ボクシングに転向する選手を大きく2つに分けると、サーマート、ウィラポンのようにムエタイでも結果を出しているパターンと、カオサイ・ギャラクシー、ポンサクレックのようにムエタイでは結果を出していないパターンです。
ムエタイ選手はなぜボクシングに転向するのか?
ムエタイの試合は賭けの対象のため、強すぎて安定して勝ち続ける場合は賭けになりません。試合が組まれずらくなり、体重ハンデマッチなども増えていきます。ムエタイで強くなって結果を残してファイトマネーを稼ぐのが目的なのに、強くなりすぎると試合が組まれずらくなるというのは少しおかしな感じもしますが、それがムエタイなのです。世界王者になって年々も防衛する選手を除いては、ボクシングを数年やってまたムエタイに戻ってくるパターンが多いです。
ムエタイで史上最強とも言われることが多いディーゼルノーイもムエカオのスタイルで危なげなく勝利するため、賭けにならず試合が組まれなくなったうちの1人です。ただ、ディーゼルノーイはボクシングの試合に出ましたが、初戦で2RKO負けをして、まったく結果が出せなかった1人です。
他にはサーマートやソムラックカムシンなどはフィームースタイルでうまく試合を運ぶため、毎回危なげなく勝利することが多かったです。そのため、賭けにならずにボクシングに転向した選手です。そして、サーマートは世界チャンピオン、ソムラックカムシンはオリンピックで金メダルを取りボクシングでも結果を出しました。
ウィラポンも長らくボクシング界にいたため、ボクサーとして世界中に知れ渡っていますが、ムエタイでも3階級制覇を果たしている実力者です。
ボクシングをやるパターンは2通り
ムエタイとボクシングを並行するパターン
最近ではプラチャンチャーイやペットモラコットがボクシングの試合にも出ていますが、ムエタイとボクシングの二刀流です。今月はムエタイの試合に出て、来月はボクシングの試合に出るという事もざらではありません。普段はムエタイの練習をして、ボクシングの試合が決まるとボクシングの練習をします。
ボクシング1本に専念するパターン
ボクシング1本に専念するパターンでは2パターンの選手がいます。
✅ムエタイで結果を残しているパターン
ムエタイでも戦績があってボクシングの試合に出場する場合は、比較的に早い段階で世界戦が組まれる場合が多いです。ボクシングでも世界王者にならなければファイトマネーがそこまで高くないからです。ほぼ毎月のように試合が組まれるムエタイと違ってボクシングの場合は大きな試合だと3~4ヶ月に1回ほどだからです。そのため、プロモーターがうまく試合を組んでいきます。ボクシングで世界王者になればそのまま続けて、結果が出せないとまたムエタイに戻ってきます。
✅ムエタイではあまり結果を残していないパターン
カオサイ・ギャラクシーやポンサクレックのようにムエタイでは並の選手だが、強打を見込まれボクシングに転向してから地道に戦績を積み重ねて世界王者になるパターンです。ボクシングで結果を出す選手はムエタイでも結果を出している選手が多いですが、ボクシングに転向してからようやく花開く選手も少なからず存在します。
タイにはボクシングジムはありますか?
もう1つ多い質問が

タイ人のボクサーはボクシングジムに通っているのですか?
という質問です。

基本的にはムエタイジムの中でボクシングの練習をしています。
例えば、ジムに20人選手がいたらムエタイの練習をする人が大多数で、2~3人がボクシングの練習をしているイメージです。ムエタイの選手は裸足でボクシングの練習をしていますが、ボクシングの選手はボクシングシューズを履いて練習をします。トレーナーもムエタイのミットとボクシングのミットを両方持てますが、ボクシングのミットを持つトレーナーはボクシングミットだけ持つ場合もあります。
ムエタイとボクシングの二刀流の選手はムエタイの試合前はムエタイの練習をして、ボクシングの試合前はボクシングの練習をしています。またチューワッタナジムのジョムトーンはボクシングに専念していた時は日本からボクシングのトレーナーを呼んで専属で練習をしていました。
ムエカオの選手もボクシングはできる?
ムエタイの試合においてあまりパンチを出すイメージのない選手でもボクシングができる選手は多いです。なぜなら、ムエタイの選手はジムではレンチューという遊びの蹴りありのマススパーリングをしてバランス感覚やタイミングを養っています。そして、ガチでスパーリングをやる場合はパンチのみのスパーリングをします。そのため、パンチのみのボクシング技術も自然と身についていきます。
ただ、ムエタイの場合はパンチよりもムエカオやムエフィームーのほうが安定して勝利しやすいためミドルキック、ヒザ、ヒジを多用することが多いです。ボクシングができる選手でも、蹴りを中心に構えて常に前蹴りが出せる状態に構えるので、パンチは少なめになります。遠い距離ではミドルキック、近い距離だとヒジを出すことが多くなります。
しかし、ボクシングをやるとボクシングの構えになりしっかりとしたボクシングができるムエタイ選手が多いので驚くばかりです。
タイ人で有名なボクサー
カオサイ・ギャラクシー
元WBA世界スーパーフライ級王者 (※19度防衛)
50戦49勝(43KO)1敗
タイ人に実際に聞くところによると一番有名なボクサーはカオサイ・ギャラクシーと言う人が多いほどの国民的大スターです。現在ではムエタイジム経営だけでなく、バラエティー番組やドラマ、映画などにも出演して人気を博しています。テレビをつけるとたまに見かけることがあります。
ムエタイではそこまで結果を出していませんでしたが、強打のパンチを見込まれてボクシングに転向し、27戦目でようやく世界チャンピオンとなる。サウスポーのファイタータイプでKOの山を築き、タイのタイソンとも言われていた。
双子の兄であるカオコー・ギャラクシーも同時期にWBA世界バンタム級王者で、世界初の双子世界王者でもあった。
ウィラポン
元ラジャダムナン3階級制覇王者
(※ジュニアフライ級・フライ級・ジュニアバンタム級)
WBA世界バンタム級王者 (※4戦目)
WBCバンタム級王者 (※14連続防衛)
72戦66勝(47KO)4敗2分
辰吉丈一郎を2度もKO、さらに西岡利晃の挑戦を勝利や引き分けで4度も退けたため、長らく日本ボクシング界の宿敵とされてきました。そのため、日本人にとって有名なボクサーのうちの1人です。ただ、世界チャンピオンになった後も真面目に練習をしていたことからタイの中でも尊敬しているボクサーが多かったことでも有名です。
1998年12月29日、日本で初めての試合が大阪市中央体育館でのWBC世界バンタム級王者で当時人気を博していた辰吉丈一郎への挑戦でした。そして、見事6RKO勝利をしてWBC世界バンタム級王者になりました。
その後、14連続防衛をして15度目の防衛戦で長谷川穂積に敗れて王者から陥落しましたが、試合中に一切表情を変えないことからデスマスクとして恐れられました。
現在は田舎チャイヤプームでタイ料理屋さんを営んでいます。
ポーン・キングピッチ
WBA世界フライ級王者
WBC世界フライ級王者
(※タイ人として初の世界王者)
35戦28勝(9KO)7敗
キングピッチとなっているが、正確にはキングペット。ムエタイ選手にも多いタイ語でダイヤモンドを意味するペット(petch)を間違えてピッチと書いたためカタカナ表記ではピッチとなっているようです。
1960年4月16日、バンコクのルンピニースタジアムでアルゼンチンのパスカル・ペレスを破り、タイ人として初めて世界王者となる。
1962年10月17日、蔵前国技館でファイティング原田と激闘を繰り広げ、右の強打から11RにKO負けで王座を失ってしまう。
しかし、翌年すぐの1963年1月12日にファイティング原田との再戦をタイで行い、再び世界王者となる。
1963年9月18日、東京体育館で海老原博幸と対戦し、1RKO負けで再び王座を失う。しかし、また翌年1964年1月23日にタイで海老原と再戦し、判定勝ちでWBA、WBC両方のフライ級チャンピオンとなる。
百田尚樹さんの「黄金のバンタムを破った男」の中でも詳しく書かれていますので、興味のある方はそちらもご覧ください。
センサック・ムアンスリン
ルンピニースタジアム スーパーライト級王者
WBC世界スーパーライト級王者 (※3戦目)
20戦14勝(11KO)6敗
ボクシング史上最短のプロ3戦目での世界タイトル奪取。ガッツ石松とも対戦している。
ボクシングで古山や石松を相手に防衛戦をする以前にはムエタイ王者として来日しています。後の全日本ライト級王者になる玉城良光に3RKO勝ち。見事な試合でダメージを与えて勝利。
サーマート・パヤクァルン
ルンピニースタジアム4階級制覇
(ミニマム級、ライトフライ級、スーパーフライ級、フェザー級)
WBC世界スーパーバンタム級王座
23戦21勝(12KO)2敗
ムエタイ、ボクシング合わせて5冠王。サーマートはタイ語で天賦の才と言う意味で、その名の通りでムエタイでもボクシングでも天才的な動きを見せていました。しかし、真面目なウィラポンとは正反対に酒、たばこ、女遊びが激しかったことでも有名です。
1993年4月、日本で新妻聡とキックボクシングルールで対戦して、2度のダウンを奪って判定勝ちしています。
アムナット
ルンピニースタジアム フライ級王者
IBF世界フライ級王者
もともとムエタイで活躍していたが、麻薬で捕まってしまい刑務所で暮らすこととなる。その時に出会ったのが暇つぶしで始めたボクシングである。ムエタイをやっていたこともありメキメキと頭角を現す。ボクシングとしては遅咲きの34歳でIBFフライ級王者となる。
井岡一翔に初黒星をつけたことでも有名である。
2017年2月には日本のキックボクシング興行「KNOCK OUT」の舞台で那須川天心と試合をする。2020年現在もまだボクシングの試合に出場しています。
ポンサクレック・ウォンジョンカム
WBC世界フライ級チャンピオン (※17度防衛)
WBU世界ライトフライ級王座
98戦91勝(47KO)5敗2分
ボクシングでは輝かしい結果を残しています。しかし、ムエタイの戦績は42戦28勝13敗1分けで突出したムエタイ選手ではありませんでした。そのままだったら特に有名にならずに終わっていた選手だったかもしれませんが、ジムのマネージャーからパンチ力を見込まれてボクシングのキャリアを歩み始めたことで人生が大きく変わっていくことになる。
内藤大助、亀田興毅をはじめ数々の日本人に勝利していることから、日本でも名前が知られているボクサーの1人です。すぐに世界王者になるタイ人選手と違い地道に実力を培って世界王者になった苦労人です。
シリモンコン・シンワンチャー
ランシットスタジアム ミニフライ級王座
WBC世界バンタム級王者
WBC世界スーパーフェザー級王者
101戦97勝(62KO)4敗
ボクシングでは他にもABCO、PABAなど数々のタイトルを獲得している。パトゥムターニー県出身で父親が経営するシンマナサック・ムエタイスクールでムエタイを始める。ひと昔前に1度だけ行ったことがあるのですが、屋根の下にリングやサンドバッグがあるだけの吹き抜けの本当に質素な作りのジムでした。
ラジャダムナンやルンピニーのタイトルは取っていないですが、ムエタイでも強すぎたことからボクシングに転向した1人です。ナリス・シンワンチャーがプロモーター兼会長を務めるナリス・ボクシング・プロモーション所属のため、リングネームにシンワンチャーがついている。
ボクシングでも快進撃を続けていましたが、1997年11月22日大阪城ホールで、辰吉丈一郎と対戦しプロ初黒星となる7RTKO負けを喫し王座から陥落しました。減量苦もあったと言うことでボディーをかなり効かされました。疲れていましたが殴り合いの壮絶な試合でした。
ボクシングで世界王者になった後にもムエタイなどの試合にも出場し、2007年にはK-1の韓国大会にも出場しています。
ヨックタイ・シスオー
ルンピニースタジアム フライ級王者
WBA世界スーパーフライ級王者 (※11戦目)
38戦29勝(18KO)6敗3分
ヨックタイ・シスオーは日本人と結婚して日本在住、ヨックタイジムを宮城県に設立する。日本でもキックボクシングや総合格闘技の試合に参戦しています。
テーパリット・ゴーキャットジム
WBA世界スーパーフライ級王者
37戦34勝(21KO)3敗
もともとナリス・ボクシング・プロモーション所属しテーパリット・シンワンチャーのリングネームで試合をしていたが、2011年にゴーキャット・パニッチャヤロム氏がプロモーター兼オーナーを務めるゴーキャットグループプロモーションズに移籍し、テーパリット・ゴーキャットジムとなる。
日本では亀田大毅、清水智信、名城信男、河野公平などと対戦しています。
コンパヤック・ポープラムック
WBC世界ライトフライ級王者
WBA世界フライ級暫定王者
まだ現役で続けていてプラチャンチャーイともWBAサウスアジアのタイトルマッチで対戦していました。現在はバンコクにある日本人向けのジムでボクシングの指導もしています。
ソンクラーム・ポーパオイン
WBA世界ミニマム級暫定王者
双子の兄チャナ・ポーパオインは元WBA世界ミニマム級王者。
チャナ・ポーパオインは26戦全勝(12KO)のまま、1993年2月10日に世界初挑戦をして日本でWBA世界ミニマム級王者の大橋秀行に挑み、判定勝ちで世界王座を獲得した。
デンカオセーン・カオウィチット
WBA世界フライ級王者
WBA世界スーパーフライ級暫定王者
71戦63勝(26KO)7敗1分
ニワット・ラオスワンワットがプロモーター兼会長を務めるギャラクシーボクシングプロモーション所属。坂田健史戦の時にカオサイ・ギャラクシーがマネージャーとして一緒に来日して来ました。たまたま知り合いのお誘いで宿泊しているホテルに会いに行く機会がありましたが、試合前にも関わらずタイ人らしく笑顔で写真を撮ってくれました。
その後に、カオサイ・ギャラクシーとトレーナーの方たちと一緒にタイ料理屋さんに行きました。
坂田健史、亀田大毅、名城信男、河野公平、松本亮などの日本人と対戦しています。
ジョムトーン・チューワッタナ
ラジャダムナンスタジアム 4階級制覇
タイスーパーフェザー級王座
第41代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座(防衛4)
ABCOスーパーフェザー級コンチネンタル王座
初代WBC全アジアスーパーフェザー級王座
ボクシングは10戦9勝(4KO)1敗
ボクシングの世界王者にはなれなかったですが、2015年5月6日、大田区総合体育館で内山高志に挑戦しています。
のらりくらりとうまく試合を運び内山選手が苦戦すると言う予想もありましたが、内山選手の強打で2RTKO負けで初黒星を喫し、その後はボクシングから離れムエタイの試合に参戦しています。
ムエタイでは左ミドルを得意として距離をうまく取りながら戦うテクニシャンですが、ボクシングの試合ではボクシングのスタイルで戦っています。OPBF王者の時にチューワッタナジムでジョムトーンとボクシングスパーリングをさせてもらったことがありますが、長いリーチをうまく使ってヒットアンドアウェイで全然パンチが当たりませんでした。
まとめ
ムエタイからボクシングに転向するパターンは、ムエタイでも結果を出してからボクシングでも世界王者になれる可能性が高い選手と、ムエタイではあまり結果が出ていないが強打を見込まれてボクシングに転向するパターンの2通りです。
タイではやはり国技ムエタイの方が権威も人気もあります。それに、ほぼ毎月試合があるのでそれで生活費を稼いでいる選手が多いです。そのため、初めからボクシングだけをやっている選手は基本的にはいません。まずはムエタイの試合を積み重ねながら結果を残してファイトマネーを上げていきます。
ムエタイの試合で安定して勝つ選手はヒザを得意とするムエカオや、テクニックのあるムエフィームーの選手が多いです。そのため、ムエタイで結果を残してボクシングに転向する選手は意外とパンチが得意と思われていない選手が多いのが事実です。しかし、ボクシングの試合ではボクシングのスタイルでしっかりと戦うのでさすがタイ人だと感心するばかりです。
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